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何が言いたいのかというと――。
「牛車が暴走した!」
「誰か止めろ!」 という道行く人達の声に振り返った瞬間、牛車が突っ込んできて「ようございました。三日もうなされてらっしゃって……」
「心配いたしましたよ」 周りを取り囲んでいた他の女房達も次々に言った。 外からは陰陽師や僧侶達の「私、一体どうして……」
意識を失っている間に前世の記憶を取り戻し、現世の記憶もそのままである。 だから自分が今は
「今、都で流行っている
そう言われてみれば、ここ二、三日なんだか気分が優れないと思っていたのだが――。
痘瘡でしたのね……。
そういう理由なら意識を失って当然だ。
むしろ高熱で苦しい時に意識がはっきりしている方がイヤですわ……。
「お顔には痕が残らなくてようございました」
トメが顔を覗き込みながら言う。 痘瘡というのは
まぁ、夫以外の男性に顔を見せることはないし、飛ぶ鳥を落とす勢いの左大臣の娘だから器量が悪かったところであまり関係ないが。
左大臣の娘に求婚してくる男は出世の手伝い目当てだからだ。父がちゃんと夫の出世を手伝ってくれれば私が粗末に扱われることはないだろう。器量はいいが貧しい家の娘を別の妻にすることはあるだろうが。
……って、私って意外と
前世では
自分で言うな、という感じだが、今の自分は別人なのだから別にいいだろう。
死んだ人を悪く言うものじゃないわよね?
けど……。
前世のことを覚えているなんて話は物語でしか聞いたことがない……(その物語ですら
それはともかく、どうやら前世の私は牛車に
中々恥ずかしい死に方ですわね。
牛車の暴走はそこそこあるから
だから牛車に
暴走牛車に
「姫様、まだ寝ておられた方がよろしいですよ」
「薬湯をお持ちしましょうか?」 という女房の言葉に慌てて目を薬湯というのは死ぬほど苦いんですのよ。
暴走牛車に跳ねられて死んで、その次の死因が苦い薬湯を飲んで死んだなんて立て続けに恥ずかしい死に方はしたくない。
実際まだ治りきっていなかったからか目を閉じるとすぐに意識を失った。
「姫様! 物語の続きが手に入りました」 キヨの声に目を開けるといつもの自分(少納言の大姫)の部屋だった。 牛車に
気のせいだったらしい。
貴族の娘である自分が外に出るはずがないのだ。もちろん貴族の女性だって全く外出しないわけではない。
女房としてただ、出仕はともかく物詣には金が掛かる。
うちにそんな余裕はない。貴族だからと言って金持ちとは限らないのだ。
金のない貴族の娯楽と言えば物語を読むことくらいである。手持ちの物語が少ないから同じものを繰り返し読む。
見なくてもだからみんな新しい物語に飢えていた。
なので、たまに誰かが物語を貸してくれると「キヨ、早く読んで」
妹の三の姫がキヨにせがむ。 息子でも娘でも、というか庶民は知らないけど少なくとも皇族や貴族は男女を問わず
姫はどこの家も長女は
それはともかく、紙は貴重だから、まず読んでみて手元に残してもいい話だけ書き写すか決めるのである。
金持ちならいざ知らず、うちは金がないから紙は一枚たりとも無駄に出来ないのだ。「はい」
キヨは本を開くと読み始めた。「北の方(ここでは
これは今、都で一番人気がある物語なのだ。
最初、世間の人々はこの物語をよくある〝
〝継子いじめ譚〟というのは読んで字の
大抵の場合、継子は大貴族の青年に
何故そんなありきたりで手垢の付いた話が人気なのか?
娯楽が少ないから。
他の時ならこれが正解なのだが、この物語は違う(まぁその話はまた後で)。
それはともかく、この物語の主人公の姫君は継母から毎日毎日、夜遅くまで縫い物をさせられていた。
時には夜通し!
遅れると継母にいじめられるのだ。
そして、この物語も最初は継子いじめ譚で良くあるように青年と知り合って恋仲になった。
その青年と姫君は幼馴染みだったのだが、しばらく疎遠になっていたのだ。
姫君は幼馴染みの青年と再会し、互いに想いを寄せるようになった。 ここまでは予想通りで、後は青年が実は大貴族の
だが姫君と青年が親しくなったところで別の姫が出てきて主人公の姫君を邪魔するようになった。
北の方が主人公の姫君にツラく当たるだけなら分かる。
〝継子いじめ譚〟とはそういうものだ。
でも継子いじめ譚で
そんな時に――。
〝女(邪魔をしてくる姫)、(庭に落ちている)孔雀の羽を(
という一文が出てきて読者は(もちろん私も)、
「えっ……!」 と、なった。 というのも孔雀がいるのは内裏を除けば左大臣の
右大臣がまだ大納言だった頃、左大臣家の孔雀を羨ましがって何度か左大臣家の孔雀の様子を日記に書いていたくらい珍しい鳥なのである(毎日内裏で見てるでしょうに……)。
内裏の庭をうろうろしているので貴族なら孔雀がどんな鳥かは知っている者が多いが、逆に言うと内裏と左大臣邸にしかいないくらい珍しいのだ。
少なくとも中納言の邸の庭に孔雀がいるはずがない。 でも、
庭に孔雀がいても、まぁいいんじゃない?
一度はそう思い掛けた。
ところが――。〝青き
という一文が出てきた。
この「おほむ」って何?
都中の者達が首を傾げ、その中の誰かが博識な人に訊ねた。
するとその博識な人は「それは
中納言家に――孔雀や
と思っていると、別の誰かが今の中宮(帝の妃)は鳥が好きで青い
〝
今の中宮は左大臣家の大君だ(それも邸の庭に孔雀がいる!)。
もしも、この〝女〟が左大臣の大君なら青年は今上帝という事になる。実は今上帝が春宮だった頃、幼馴染みで相思相愛の姫君がいた――と言われている。
そしてそれは左大臣の大君ではなかった。幼馴染みの姫君もそれなりに身分が高く、いずれ入内するだろうと言われていたらしい。
ところがそこに左大臣の大君が割り込んできた。そして、幼馴染みの姫君に様々な嫌がらせをした挙げ句、左大臣の大君は先に春宮に入内して妃になった――と噂されていた。
複数の妻を持つのは普通だし、ましてや帝の妃が一人というのはまずないから左大臣の姫君が入内したところで別に問題はない。
幼馴染みの姫が入内していれば良くある話だから誰の興味も
そうはならなかったのは幼馴染みの姫は左大臣の大君が入内したのと同じ頃に行方をくらましてしまったからだ――と言われている。
それで、この話は今上帝の春宮時代に起きた話を実在しない中納言家に
つまり、この物語に書かれているのは今上帝が春宮の時代に実際にあった話。
それも失踪者まで出た!そりゃ誰だって食い付きますわよね?
深夜――「いかにせん 山で聞きつる 呼子鳥 春の宮へと おとづれんかな」 外から頼浮の声がした。 春宮が来たのだろう。もちろん中の君のところに。 忘れてましたけど今日のお客様方の中に春宮がいたんでしたわね。 宴が終わったから中の君に会いに来たのだ。 頼浮に――というか帝以外の人に春宮を追い返せるとは思えないが一応通していいか聞いてくれてるのだろう。 私は妻戸を軽く叩いた。 頼浮はすぐそこにいるはずだ。「春宮様は中の君のところに通して構わないって言ったはずよ」 私が小声で囁く。「春宮はお通ししたのですが少納言がこちらに向かっているのです」「よく招待したわね」 てっきり出入り禁止になったのかと思ってましたわ。「別の少納言です」 頼浮が私の考えを察して言った。 少納言というのは――というか各官職の長官以外はほとんどがそうなのだが――何人もいるのだ。 だから官職名の前に『何々の~』とつけて区別するのである。「二人は部屋を出たんでしょ」 中の君がいないのなら別に部屋に入られたところで構わない。「いえ、今日は中の君の母屋で……」「あら……」 つまりこのままだと春宮と少納言が鉢合わせしてしまうのだ。 だから私の判断を仰ぎに来たらしい。「…………」 私は考え込んだ。 これは使えるかも知れませんわ――。「いかがいたしますか?」「いいわ。少納言をそのまま行かせて」「……よろしいんですか?」 頼浮が驚いたように言った。 驚くくらいなら最初から追い返せばいいでしょうに。「春宮様と中の君が一緒にいるのを見たって少納言が言い触らしてくれれば入内させるしかなくなるでしょう」
「私は必要に迫られても詠めるかどうか……」 中の君が悩ましげに言った。「…………」 さすがにそれはそれで少々問題がある。 女性にとって楽器と歌は絶対に必要な教養なのだ。 殿方は苦手でもなんとかなるのだが女性は歌が出来ないと婿取りの時に困る。 最初のうちは親が代筆すると言っても最後には自分で懸想文に返歌をしなければならないのだ。 意味もなく詠むほどではなくても、必要に迫られて詠めないのはダメだろう。 特に入内したら何かと詠まなければならなくなるはずなのだ。 というか入内できなかったら貴族の婿を迎えることになるのに歌が詠めなかったら困りますわ! 数日後―― 朝早くに頼浮の歌が聞こえた。「君が振る 袖に触れにし 朝露は 我が涙をや 思ひおこせと」 後朝の歌(朝、恋人のところから帰ってから贈る歌)のようにも聞こえるが、おそらく『触れにし』と言いたいのだろう。 どうやらお父様が死穢に触れたらしい。 となると潔斎のために邸にいるはずだ。 私はお父様の元へ向かった。「お父様、今はまだ中の君の母君の喪中ではありませんの?」 私はお父様と御簾越しで向かい合って言った。「そうだが、お前には関係ないだろう」「お父様と中の君にはあるでしょう」「それはまぁ……」「私、心配ですわ」「姫様、気にしすぎですわ。怨霊なんて」 打ち合わせ通りトメが言った。「怨霊!?」 お父様が目を剥く。「そうね、そうかもしれないわね」 私がトメに答える。「どういうことだ!?」 思った通りお父様が食い付いてきた。 怨霊というのは恐れら
夕方、部屋に戻った私(左大臣の大君の方)はトメに今後、中の君宛の文は私に届けさせるようにと指示した。「北の方様のお耳に入ってしまったら……」「手習いや歌のお稽古で紙が沢山必要だと答えればいいわ」 字にしろ歌にしろ女御になるなら上手ければ上手いほどいいのだ。 勅撰和歌集というのは実力で選ばれる(帝以外)。 例え妃であろうと忖度では入れてもらえたりはしない。 にもかかわらず入集している妃は多い。 それくらい歴代の妃達は皆、優秀なのだ。 当然、私も次に勅撰和歌集が作られることになったときは一首くらいは入集できるような歌が作れる方がいいに決まっているのだから手習いや歌のお稽古に紙を沢山使うと言えばお母様は納得するはずだ。 帝にしても例外的に入れてもらえると言っても優れている歌だけだ。 どうしても自分の歌を勅撰和歌集に入れたくて、こっそり他の人の歌を抜いて自分の歌を入れてしまった帝がいるくらいである。 それを周りに知られてしまっているというのも中々恥ずかしいと思いますけど……。 まぁもう崩御されているからいいのですけど……。「姫君の亡き者にしたい誰かが蛇を箱に入れて送ってきたのです」 キヨが物語を読んでいた。「なんてひどい!」「怖いわ! 私、蛇嫌い!」 二の姫と三の姫が口々に言った。「蛇が失敗したと分かると今度は食事に毒を入れました。 毒を入れたのが自分だと分からないように全員の食事に混ぜたので邸の人間は皆、寝込んでしまいました。 幼かった一番下の妹君は助からず……」「なんですって!」 私(左大臣の大君の方)は大声を出して跳ね起きた。「姫様!?」 トメや他の女房達も飛び起きて集まってくる。「いかがされましたか!」
私(左大臣の大君の方)は目を覚ました。 せっかく物語の夢を見たのに参考になりそうなことはありませんでしたわ。 箏のお稽古をしていた中の君の手が止まった。 中の君の箏の腕は上達しているものの、まだ人前で披露できるほどではない(あれからずっとお稽古していたんですのよ)。「やっぱり、私には……」「後! 落ち込むのは後にしましょう! そういうのは宴が終わってからにしないと間に合いませんわ!」 中の君はしょっちゅう落ち込んでは手が止まりそうになる。 だが落ち込んでいても手を動かさなければ間に合わない。 中の君の年なら習い始めて七、八年くらい経っていなければならない。 それが習い始めて二、三年の四の姫より下……上手くないとなると、ほとんどお稽古していなかったという事になる。 とても一月や二月の練習では……。 これでは中の君が恥をかいてしまう。 中の君の演奏は北の対にも聞こえているはずなのにお母様はやらなくていいとは言ってこない。 宴の席で中の君は箏が下……上手くないと周知されてしまったら中の君を入内させようと言い出せなくなる(言ったところで認めてもらえませんわ!)。 どうしましょう……。 とてもではないけれど四十の賀の宴で披露できる腕前ではない。 お稽古を続ければ上手くなりそうではあるから入内(出来るようになったとして)までにはなんとかなりそうなのだが宴には間に合いそうにない。 中の君が溜息を吐いた。「お姉様はなんでもお出来になるのですね。それに引き換え私は……」「お稽古しただけよ」 何しろ幼い頃から、いずれ入内するのだから妃として恥ずかしくないようにと一通りやらされてきた。 入内してすぐに中宮に|冊立《さ
「あなたの父君以外にですか?」 頼浮が答える。 左大臣は上司というと少し語弊があるのだが少納言より上というのはその通りだ。 左大臣は常設の官職の中では一番上なのである。 摂政、関白、太政大臣は左大臣より上ですけど臨時なので必ずいるわけではありませんのよ(今は太政大臣は置かれていますけど)。 私は頼浮に、物語の主人公が上司の呼び出しで女性の元に行かれなかった物語の話をした。「お父様が娘の婚姻の晩に宴に呼んだりするわけないでしょ」 というか、宴だと言って左大臣邸に呼ばれては困りますわ。「宴では嘘だと分かった時点で引き返してきてしまいますよ」 頼浮はそう答えてから何かを思い付いたように口を噤んだ。「……今夜来るのを止められなかったら明日、試してみます」「今夜は無理なのに明日ならなんとかなるの? 何か手があるってこと?」「道に動物の死体を置いておきます」 死体は死穢といって見ると数日間、潔斎のため自宅にいなければならない。「そのための牛車でしょ」 牛車の中と外は別の空間だから死体の側を通っても死穢に触れたことにならないとされているのだ(見なければ、ですけど)。 貴族がいちいち牛車で移動する理由の一つはそれなのである。「そうはいっても死体は避けますから道を変えます。行く先々の道に置いておけば……」 死体を乗り越えていくわけではないのなら避けなければならない。 広い道ばかりではないのだから横を通れないのなら引き返して別の道を通る必要がある(牛車というのはちょっとした小屋くらいの大きさがあるので狭い道だと避けられないことがありますのよ)。 そのため上手く考えて通り道に置けばかなりの遠回りになる――朝までに左大臣家に着かないくらいの。「今夜は?」「牛車に細工します」 頼浮の言葉を聞いて任せることにした。
「トメ、これを春宮様に。左大臣家の姫だと言ってね。中の君ではなく」 私は歌を書いた文をトメに渡した。 あの歌の贈り主が他の人なら春宮は『左大臣家の姫』は私だと考えるだろう。私のことを突然わけの分からない歌を贈ってきた変な女だと思うかもしれないが。 あの歌が春宮なら中の君からだと思うはずだ。 筆跡が違うがそれは私の代筆だと言えばいい。最初のうちは親などが代筆するものだ。「申し訳ありません、お姉様。ありがとうございます」 中の君がすまなそうに頭を下げる。「いいのよ、私は内裏になんて行きたくないから」 中の君が春宮と結ばれてくれれば双方が幸せになれるわけだし。「春宮様も同じことを仰っていました」 中の君が遠い目をしながら言った。 おそらく昔、聞いた話なのだろう。 今は春宮は内裏に住んでいるわけだし。「そう……」 私はなんと言っていいか分からないまま頷いた。 まぁ春宮がいやいや内裏に住んでいるのなら尚のこと中の君が側でお心をお慰めしてあげた方がいいのだから入内は中の君の方がいいですわよね。 春宮にとっても中の君にとっても――。 決して入内を押し付けようとしているわけではありませんわよ。 その夜――「漁火の ほのかな灯り 篝火と 誘ひと紛ふ 迷ふ虫かな」(灯りに誘われた虫が迷い込んできました) 外から随身の声がした。 他の随身に言っているのでなければ私に言っているということになるけど……。 誘われた? 名前を聞いたから勘違いしたのかしら……? 私が無視して寝ようとした時、妻戸を叩く音がした。 呆れた……。 図々しいにもほどが&hel







